「航空政策への七つの提言ー自由で公平公正な競争環境を」(研究委員長:箱島信一前朝日新聞社長)
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2010(平成二十二)年五月二十日
自由で公平公正な競争環境を
ー 航空政策への七つの提言
一、オープンスカイ(航空自由化)を大胆に推進せよ
二、JAL救済にルールと規制を設けよ
三、日本の航空乗務員のコストは高過ぎる
四、国際線も自由競争の時代に備えよ
五、空港整備特別会計を廃止せよ
六、空港は連携して生き残れ
七、格安航空会社の設立を支援し育成せよ
【政策提言にあたって】
日本の航空政策は国際化に立ち遅れて国民のニーズに応えられず、バラバラで極めて非効率と言わざるを得ない。総合交通体系の中で来るべき新時代の航空政策を早急に展開すべきである---。
これは総合政策研究会が一九六三(昭和三十八)年にわが国のシンクタンクとして初めて航空行政に意見を述べた「航空政策への提言」の主旨である。それから四十七年経った。、いまも同じ思いがするのは単なる感慨ではない。
東西冷戦が終わった一九九一年以降、空の世界は文字通りグローバル化され、市場経済を軸としたオープンスカイ(航空自由化)政策が奔流のごとくこの時代を形成してきた。しかしわが国はこの二十年もっぱら自国の閉鎖的な世界に没頭するあまりその期待にほとんど応えていない。そればかりか航空政策・行政は政治家、官僚、業界の三つ巴で、公共事業重視型、地域・地方の利権重視型であり続け、地方空港が乱立するにいたった。
本来なら国家戦略を視点の中心に据えるべき空港建設は、空港整備特別勘定(空整特会)という財政制度の既得権益の中で、国・地方政治家の我田引水のレベルでの議論でしかなく、戦略的な国際ハブ空港論議は全くその埒外に置かれた。飛行機の来ない地方空港が今日まで乱造されてきたのは、この空港整備システムが温存されてきたことに起因すると言っていい。
国民目線でいうと、私たちの重要な足である航空ネットワークと航空企業の発展を阻害したことにつながったばかりでなく、その中心たる日本航空(JAL)を民営化後もナショナル・フラッグ・キャリアという二十世紀的表現を官僚、政治家は保護の理由に弄んで自爆させたことである。
その責任は政治(官僚)とJAL自身の双方にあるのは当然だが、これらの癒着体制を監視するメディアが十分にその役割を果たしてきたかどうかもこの際検証されなければなるまい。この衝撃的なJAL破たんを一つの契機にして本会は航空政策・行政・企業全般について率直な提言をすることとした。
この提言は本会理事である箱島信一元朝日新聞社社長を委員長として、航空問題に詳しい学者、論説委員、実務家、有識者などの委員によって構成される航空政策研究委員会でまとめたものである。
その構成と委員会の日程は次のとおりである。
【
航空政策研究委員会】
研究委員長 箱島 信一(前朝日新聞社社長・本会理事)
委員(主査)
吉原 勇(作新学院大学講師・本会理事)
委員 縣 忠明(産経新聞客員論説委員)
委員 伊藤 元重(東京大学大学院経済学研究科教授)
委員 大沢 賢 (東京新聞論説委員)
委員 児玉 平生(毎日新聞論説副委員長)
委員 玉置 和宏(毎日新聞社特別顧問・本会理事長)
委員 松田 英三(元読売新聞論説副委員長)
委員 吉野 源太郎(日本経済研究センター客員研究員・元日本経済新聞論説委員)
委員(事務局長) 梶原 英之 (本会特別研究員)
☆研究委員会は次の日程で開催された。(場所は東京都千代田区内幸町の日本プレスセンター九Fの日本記者クラブ大会議室)
@三月二十六日(金) 吉野源太郎日本経済研究センター客員研究員から「日本の航空政策の現状と課題」についてヒアリングと質疑
A四月二日(金) 金成秀幸前日本航空執行役員(経営企画担当)から「日本の航空の課題」についてヒアリングと質疑
B四月七日(金) 伊藤元重東大大学院教授から「日本の空を問う」とのテーマでヒアリングと質疑
C四月十三日(火) 石指雅啓国土交通省航空局管理部総務課長から「日本の航空政策と航空行政」についてヒアリングと質疑
D四月二十日(火) 岡田晃全日空上席執行役員(前経営企画担当)から「日本の航空行政とANAの考え方」についてヒアリングと質疑
E四月二十日(火) 全委員で提言に向けてフリーディスカション
総合政策研究会は一九五一(昭和二十六)年に東大教授有沢広巳を会長に、朝日新聞論説委員(後に産経新聞論説委員)の土屋清を理事長として設立された学識経験者を中心とした政策研究団体です。中立、公正の立場と国民目線でこれまでおよそ五十有余年にわたって主として経済問題について調査研究と多くの政策提言を行ってきました。わが国で最も伝統のあるシンクタンクの一つであり政府の政策と世論形成に大きな影響を与えてきたと自負しています。
二代理事長は田中洋之助が継ぎ、三年前にNPO法人に衣替えをしたのを機に、毎日新聞社特別顧問玉置和宏が理事長職について今日に至っています。
ちなみに最近では洞爺湖サミットに向けて二〇〇八(平成二十)年に「地球環境と水の安全保障」(研究委員長・玉置和宏)、二〇〇九(平成二十一)年には「日本の住宅を考える」(研究委員長・杉田亮毅)と研究活動を続けています。
(詳しくは【総合政策研究会】のHPをご覧ください)
現在の役員構成メンバーは玉置和宏(理事長=毎日新聞社特別顧問)、杉田亮毅(理事=日本経済新聞社会長)、箱島信一(理事=朝日新聞社顧問、元社長)、松井義雄(理事=読売新聞社相談役、元東京本社社長)、大武健一郎(理事=大塚製薬HD副会長、元国税庁長官)、島田晴雄(理事=千葉商科大学学長)、築館勝利(理事=東京電力監査役会会長)、田中洋之助(理事=前理事長)、吉原勇(理事=元下野新聞取締役)です。
ちょうど40回目になる今回の政策提言が関係当局、諸団体、各位のご参考になれば幸いと存じます。
ここに研究委員会委員、ヒアリングその他の面でご協力いただいた方々に深く感謝いたします。
二〇一〇(平成二十二)年五月二十日
特定非営利活動法人
総合政策研究会
理事長 玉置 和宏
世界の空と日本の航空政策
わが国の航空政策は一体どうなっているのだろう。リーマンショック直後から始まった日本航空(JAL)救済の迷走ぶりは、多くの国民に航空政策へ関心を抱かせる効果をもたらしたようだ。結局JALは会社更生法の適用を申請、発足したばかりの企業再生支援機構の下で経営再建を目指すことになった。だが一連のこの動きにより、わが国の航空業界は世界とは隔絶した存在であり、世界に通用する航空政策がないという事実を白日のもとにさらけ出す結果になった。
世界の趨勢であるオープンスカイ(航空自由化)には消極的であり、需要の見通しのないまま地方空港の建設を推進、首都圏空港については容量不足のまま放置していたのである。また航空会社に対しては手厚い保護を続けた。その影響で航空運賃は割高となり、航空会社の方も甘えの構造があって経営改革を先送りしてきたのである。わが国だけが世界の潮流から取り残され孤立し、「ガラパゴス化している」との指摘さえある。
JALの一連の救済劇はその一端を象徴するものである。まずなぜ一民間企業を政府が主導して支援しなければいけないのか、その議論が国民の前で明らかにされていない。その結果JALが経営危機に陥った昨年秋以降、再生の司令塔とそのガバナンス(統治)の主体がころころ変わるなど混迷を極めた。その影響は今日まで続いており、六月末までに裁判所に提出すべき更生計画は早くも数ヶ月の遅れが確実で、船長が海図なきまま企業再生という大海原に船出した航海のようなものである。いや誰が本当の船長なのかも判然としない。これで三年後に無事「黒字再建」という港に行き着けるどうか心もとない。
渦中の日本航空が設立されたのは一九五一(昭和二十六)年八月。前年六月に始まった朝鮮戦争を契機に占領軍は対日占領政策を緩和、民間航空を認める方針を打ち出し、五社の競願になった。結局、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎を代表にした旧大日本航空関係者による日本航空に一本化され、発足した。しかし「もく星号」事故もあって赤字が続き、国際線を飛ばす力がなかったため一九五三(昭和二十八)年十月、政府が五〇%を出資する国策会社の特殊法人に生まれ変わった。ナショナル・フラッグ・キャリアの誕生である。以後は日本経済の成長とともに順調に業績を伸ばし、世界の主要都市に乗り入れる世界有数の航空会社になったのである。
一方、全日空の前身である日本ヘリコプター輸送と極東航空は一九五二(昭和二十七)年十二月設立され、日航が特殊法人になったのと同じ一九五三年十月、定期運送事業進出を運輸省から認められた。東日本と西日本とに営業区域を分けた両社だったが、全国を統一運航する方が合理的ということで一九五七(昭和三十二)年十二月両社は合併、ANAとなった。
JALは国際線と国内幹線、ANAは国内線という棲み分けで二社体制がしばらく続き、統合を目指す動きが一部あるなかで一九七〇(昭和四十五)年、東亜航空と国内航空の合併が認められ東亜国内航空のちの日本エアシステム(JAS)が誕生、三社体制になった。
JALだけに認められていた国際線が一九七二(昭和四十七)年、ANAにも「近距離チャーター便の充実」が認められ、一九八五(昭和六十)年にはそうした分野調整が廃止された。JRに続いてJALが民営化されたのは一九八七(昭和六十二)年。世界では航空自由化が進み環境が厳しくなったことから二〇〇二年にはJALとJASが合併、いよいよ航空業界にも整理統合、合理化の波が訪れたかと期待された。しかし、賃金や雇用条件は高い方に収斂、期待はずれに終わった。
世界に目を転じてみると、第二次世界大戦後民間航空業界は飛躍的な発展を遂げたが、それを支えたのが国際航空運送協会(IATA)だった。一九四五年に設立されたIATAは国際航空運賃の決定と会員会社間の運賃貸借の決済を目的にする組織で、会員各社はIATAの決めた運賃に拘束される。一種のカルテルであり、高い運賃を享受する航空会社は高収益を誇りわが世の春を謳歌していた。
変化が現れたのは一九七八年、英国のレイカー航空がIATA運賃よりも大幅に安い運賃で殴りこみをかけてからである。米国でもエア・フロリダ、ピープル・エキスプレス航空が誕生、格安運賃で人気を集めた。しかしこれらLCC(ロー・コスト・キャリア)と呼ばれる格安の航空会社は、同じ運賃に引き下げる大手のマッチングと呼ばれる対抗戦術などに敗退、姿を消した。
しかしマッチングの運賃によって新興の会社を追い詰める手法に対して各国の公正取引委員会が監視の眼を光らせ始めたのに加え米国、欧州各国が航空自由化政策を採用、大胆な規制緩和、格安航空会社が育つ条件が整った。
格安航空会社としてのビジネスモデルを確立し急成長したのが米国のサウスウエスト航空である。テキサス州ダラスに拠点を置くサウスウエストは州内の三地点を結ぶだけの小さな会社だったが、機材点検のため週末に回送する飛行機を活用、通常の三分の一の運賃にしたところ乗客が殺到、それを機に低価格路線に切り替えた。運賃を格安にするためコスト削減に取り組んだ。余分な機内サービスはしないこと、比較的距離の短い路線を「ポイント・ツー・ポイント」で運航すること、飛行機の地上停留時間を減らし効率よく使うこと、機種は統一すること、パイロットの月間飛行時間を他社より長くすること、マイレージ制度は採用しないこと、航空券は直売することなどである。一機あたり従業員は八十人程度であり、他社の百十人から百五十人に比べるとかなり少ない。こうしてサウスウエストは多くの顧客に支持され、路線網も拡大、今では年間一億人を超える乗客を獲得している。
サウスウエスト航空の成功と各国による航空自由化政策の進展で格安航空会社が続々と誕生した。米国では二百三十社が新規参入、そのほとんどは短期間で撤退したものの新しいビジネスモデルを確立したところはしっかりと根を降ろしている。ジェットブルー、エアトラン、アレジャイアント、スピリットなどの各社である。
欧州ではドイツのエア・ベルリン、英国のイージージェットやヴァージングループ、アイルランドのライアンエアといったところが大手の域に近づいている。
アジアでもマレーシアのエアアジアが二〇〇二年、タイでは二〇〇三年にワンツーゴー、二〇〇四年にノックエアが発足したのを皮切りに今や四十社以上が参入している。お隣の韓国でも大韓航空がジンエアー、アシアナ航空がエア釜山という子会社を設立してLCC経営に乗り出したほか、イースター航空、チェジュ航空が誕生し国際線を開設し始めている。なかでも躍進を続けているのがエアアジアで、合弁会社を含め東南アジアに百三十の路線を開設、二〇〇八年には千百八十一万人の乗客を獲得した。
LCCの格安運賃による攻勢は、IATA運賃に安住していた各国のナショナル・フラッグ・キャリアの経営を直撃、世界の空を牛耳っているとみられていたパン・アメリカン航空がまず姿を消した。続いてベルギーのサベナ航空、スイス航空が相次いで破綻した。オランダのKLMはエールフランスの支援を得てかろうじて路線を維持している。米国でもデルタ航空がノースウエストを吸収合併、コンチネンタル航空がユナイテッドと合併を合意している。
より緩やかな結びつきで効率化を狙うのがグローバル・アライアンス(連合)の結成である。ルフトハンザとユナイテッドが中心でANAが加盟する「スターアライアンス」、ブリティッシュ・エアウェーズ(BA)とアメリカンを軸としてJALが加盟する「ワンワールド」、エールフランスとデルタが核になった「スカイチーム」の三つがある。
こうした連携を図る一方、大手キャリアは懸命の経営努力を行っている。ほとんどの会社が取り組んだのが小回りの効かないジャンボ機は退役させ、ボーイング737かエアバス320にダウンサイジングすることだった。そうして機種をできるだけ統合するのである。第二の対策は人件費の削減である。米国の大手六社はパイロットや客室乗務員の組合と粘り強い交渉を行い、賃金カットと人減らしを実現、二〇〇二年から二〇〇七年までの五年間で三〇%の人件費削減ができたという。
このように世界の航空界が激変するなかで、わが国だけは政府主導のもと、IATA運賃を守り、自由化には消極的な姿勢を守り続けていたのである。エアドゥーやスカイマークエアラインズなど新規航空会社の参入を認め、形の上では自由化路線を採っているかのようにみせながら厳しい規制で行動を縛り、自由競争ができる環境をつくらなかった。
現在わが国にはエアドゥー、スカイマークエアラインズのほか仙台拠点のアイベックスエアラインズ、北九州拠点のスターフライヤー、宮崎空港拠点のスカイネットアジア航空、静岡空港を拠点にするフジドリームエアラインズといった割安運賃の会社はあるが、これらの企業はコストカットが十分でないため国際的にはLCCと認められていない。
こうしてわが国の航空会社は高コスト体質のまま経営改革を先延ばしにしてきた。そこにリーマンショックがやってきて、日本航空の破綻につながったのである。リーマンショックから二年が経過、欧米のキャリアの収支は改善の方向にある。ところが二〇一〇年三月期の業績見込みはJALが二千六百億円余の赤字、ANAも五百七十三億円の赤字と赤字幅を拡大している。そこに問題の深刻さがうかがわれる。問題の根には政府の航空政策のミスもみのがせない。そこでわれわれは以下のように提言する。
自由で公平公正な競争環境を
―航空政策へ七つの提言
提言一 オープンスカイ(航空自由化)を大胆に推進せよ
わが国は航空自由化政策で周回遅れといわれるほど世界から取り残されている。韓国は一九九一年から完全なオープンスカイ政策に踏み切ったが、韓国経済が日本よりも活性化している一つの原因はそこにあるともいえるのである。羽田空港や成田空港の容量が不足し、発着枠に制限があるためやむを得なかったとはいうものの、これが航空会社経営に甘えの構造をもたらした。健全な航空会社を育成するという点でマイナスになったと同時に日本経済にも微妙に影響をもたらしているのである。
幸い羽田空港にこの秋、四本目の滑走路が完成、発着枠は現在の三十万回から三十七万一千回に増え、将来的には四十四万回にまで増えることになっている。成田空港も平行滑走路の延伸工事が終了、二十万回を二十二万回に増やしている。将来的には三十万回にする方針という。これを機会にわが国も完全な航空自由化に踏み切るべきである。カボタージュ(国内空港間の路線を他国には認めない政策)についても、相手国が認める場合には日本も認めるべきである。
米国は早くからわが国に自由化を求めていたが運輸省(国土交通省)は日米間の企業格差を懸念、発着枠の不足を理由に先延ばししてきた。しかし成田、羽田両空港の発着枠拡大が確実になった二〇〇九年十二月、オープンスカイ協定と銘打った日米航空協定の改正案が調印された。
しかしその中身をみると羽田の深夜・早朝の発着枠から日米路線に往復八便認めること、日本の航空会社が加盟するグローバル・アライアンスに両国政府は独占禁止法の適用を除外するーなどが中心であり、運賃については事前の届出と両国政府の承認が必要とされ完全な自由化ではない。米国は九十五の国(二〇一〇年三月十七日現在=日本は九十六番目になる予定)とオープンスカイ協定を締結しているが、運賃の自由化を認めていないものはほとんどない。日本航空の経営問題に配慮した日本政府の強い意向によるものとみられるが、これでは航空会社の高コスト体質是正を先送りすることにならないだろうか。国際競争力のある企業を育てるには、鞭も必要である。JAL救済を理由に自由化を遅らせるべきではない。
提言二 JAL救済にルールと規制を設けよ
日本航空(JAL)は六月末までに裁判所へ更生計画を提出して再建への道を歩むこととした。だが現時点ですでにその計画提出は絶望的で早くても八月末までずれ込むことが確実である。
かつてこの国の元気印のシンボルだった本田宗一郎(ホンダの創業者)は経営危機のときに「お国の援助や保護で生き残った会社はないんだ」と自らを励ましていた本田語録が印象的だ。それは大企業、中小企業を問わず日本の経営者の共通した思いだろう。
国土交通省が財務省管轄下にある日本政策投資銀行とできたばかりの企業再生支援機構に金庫役と管財人役を任せる更生計画にはそこに至る法的論理的な筋道が見えない。企業救済のルールや基準も明らかでなく、過去の経営責任を誰が取るのかも不透明である。今後の推移次第では二次破綻の蓋然性は高く巨額な国民負担を懸念せざるを得ない。
破綻したからといって、その救済のための公的支援を政府丸抱えで行うには相当な理由と一定のルールがなければならない。それぞれの産業を見渡しても、この国にはまだJALクラスの企業は少なくない。しかしそれらの企業が経営的に行き詰まった時にいちいち政府が面倒を見て企業更正に踏み切るなどは、想像もできないしまたできる話ではない。血を血で洗う企業競争下で今日の勝者が明日の敗者となることはままあることだ。JAL支援を米国政府のGMへの支援と同一レベルで議論する人が居る。だがGMは長い間米国産業のシンボルであり、いまなお内外に多数の工場を有し最大の企業規模と雇用を抱えている。戦後米占領下で創業された航空会社と異なるのは当然だ。しかも公的支援を受けたとはいえ、何よりも違うのはGMが自ら再建計画を策定してきたのに対し、JALの更正計画は政府が主導して行っていることだ。
政府はJAL救済の理由として「国民の生活を支える航空ネットワークの維持」との公共交通の役割を挙げている。しかし
JALへのおよそ一兆円近い公的資金の投入は競争社への不安をかき立てることは否めない。もしそうした政府の資金供給が競争社を不利な立場に追い込むなら、それに対してアンフェアとの声を発するのは自然である。なぜならもともと財政基盤が脆弱ななかで競争している航空業界で一兆円近い資金の投入は一方の航空会社に極めて大きなハンデイを負わせることは明白だからだ。
いかなる産業であっても自由でフエアな市場と競争環境は自由経済のいわばインフラストラクチャ(社会経済基盤)である。それを政府が提供することはG8(先進主要国)の中で第二位の経済規模を持つ日本の当然の義務であり、それが国際経済社会でのイニシアティブにつながることである。
今回のJAL破たんに対する公的支援を真にやむを得ないとして許容する場合でも、自由でフェアな競争市場を維持するために必要な措置を講じることが重要である。
私たちはその条件として法的規制を含む二つのルール措置を設けるべきだと提言する。 第一にJALへの公的資金の使途をやむを得ない経常的な使途に限るべきであり、機材など将来への投資的な運用は禁じるべきである。緊急な支援が公的に認められるケースがあるとしてもそれは「日本経済と国民生活を支える航空網の当面の維持」が目的でなければならず、JALの再生そのものが目的ではない。それ以上の支援は国家としてなすべき課業ではなく、JALの経営陣、従業員が一体となって遂行する仕事である。従って新規投資などへの資金投入は民間の市場金融マーケットによる合理的な精査と検討を経て初めて実現すべきものであり、それを通じてこそ真の再生への道を歩む。それを実行するのは政府ではなくJAL自身である。
経営者は従業員とともに、会社破たんという苦しみの地獄の中から全てのステークホルダー(利害関係者)の理解と協力を得て再生する懸命な努力が必要となる。これまでのように最後は政府が面倒を見てくれる、という甘えと幻想は今年一月で消えたと考えるべきである。これを監視するには使途などの透明な情報開示を可能とする第三者の機関が必要となろう。
第二に公正な競争を担保するもう一つの政策は救済企業にルールと制限を設けるべきであるということだ。オープンスカイという二十一世紀の航空の世界の潮流変化のなかで、JAL救済に対してきちっとしたルールを世界に公表しなければならない。
これまでEUでは政府が航空企業を支援するときはほかの企業との公平な競争条件を維持・確保するために、資産圧縮、生産キャパシティの削減、市場シェアの削減、不当廉売の禁止などの一定の制限規則を設けている。これは他国の企業に対しても同様で、公的支援を受けた米航空会社に対してそのルールを順守しなければ欧州路線で規制するとしたのはその一例だ。これをEUという共同市場内ルールというだけで普遍的な問題ではないとする意見がある。だが支援を受けていない企業との公平、公正を確保するためには当然の制約と考えるべきである。私たちはこの異例な企業の政府支援がいかなる状況や環境で行われるにせよ、そうしたルールを制定しその一定の制限のもとで実施されるべきと考えている。
提言三 日本の航空乗務員コストは高過ぎる
JAL再建の大きな鍵になるのは経営者と社員(従業員)の意識改革からスタートするが、再建に向けての一丸となった行動である。JALに労組が八つもある(今後六つになる予定)ことが破たんの原因の一つと指摘する向きがある。だが本来労組が幾つあろうが、労使関係の歴史と企業文化の辿った軌跡であればとやかく言うことではない。むろんその結果国民の足に大きな影響を与えているのなら別だが、これまで欧州企業に見られるようなストによる混乱はない。
だがそれは見方を変えると、過去二十年の労組の自制に負うというよりJAL経営者が自己責任の放棄、つまり放漫経営から発していると考えると分かりやすい。言い換えれば恒常的な赤字経営にあっても経営を脅かすようなスト権確立下の交渉に際して、企業存続をかけた真剣な交渉と労務政策を放棄してきたのではないか、とさえ思う。
これはJALだけの問題ではないが、日本の航空会社の乗務員の労務コストは国際的に比較して相当高いと言わざるを得ない。高額報酬とハイヤー、タクシーの送迎はとかく世間の批判を浴びている。なかでも手当て込みで平均すればおよそ年収三千万円といわれ、欧米先進国の同職務に比しても約二倍、東南アジアのそれと比べると数倍とされるパイロット(機長クラス)の報酬であろう。とにもかくにも会社が成り立っているなら羨望の的になっても誰も文句は言えない。だがJALのように公的支援を受けることになったとすると話は別である。労務コストの是正を含めて、労使一体の企業再生に向けて痛みを分かち合う姿勢がなければ国民の理解は得られない。さらにJALは破たん企業であり、国民負担のもと再生に取り組んでいるのだから、賃金コストの縮減は、労使問題というよりむしろ国民のコンセンサスに委ねることも否定すべきではない。JALは公的支援を機に国際競争に耐えうる大幅な労務コストの削減を行うべきである。同時に政府としても乗務員コストを国際水準に近づけるため、外国人パイロットの受け入れに対する規制緩和に踏み切ることも肝要だろう。
提言四 国際線も自由競争の時代に備えよ
日本企業の国際線は日本人客が主たる顧客であることを前提にしたビジネスモデルである。かつては低コストのアジア系航空会社もなく、日本人と少数の欧米人を客とすることで二社体制でもほぼ独占的に日本人客を集めていた。だが今日ではアジアの航空会社はもともと自国の客が少ないことを前提に低コストのビジネスモデルを展開し日本人を集客している。また欧米系もこれに負けじと低サービス、低運賃というエコノミー路線で勝負している。これからはオープンスカイ政策のもと、世界で闘う競争力のある航空会社が外国人客も含めたマーケットを対象にビジネスを展開していく必要がある。世界の航空会社が
弱肉強食の闘いを続けすでに供給過多にあるマーケットで、破たんした国際競争力のない航空会社が存続する余地はない。
今後航空の国際線が市場の競争を通じて再編成されるために、政府は航空の外資規制緩和をはじめとした新たな時代への開放的な環境整備を進めるべきである。問題は、JALがその競争環境の下で生き残れるかどうかであって、ナショナルフラッグ・キャリアという考え方はもはやあり得ない。
そもそもJALの国際線の不振は日本の航空政策の「ガラパゴス化」を映すもので、それ自体グローバルな競争で敗れたと見るべきである。それを無理に復帰させるのは却って傷を深くするばかりであろう。むろん自由競争という本来のあり方からすると、ともかく国際航空市場に任せるべきという意見もある。その場合でもJALは公的支援を受けるのだから一定の制約が課せられるのはやむを得まい。
ナショナルフラッグ・キャリアの退場に国民的感慨を持つ向きもあろうが、そうした感傷に浸る時代は終わった。既に英国の代表的な航空企業であるBAは今年末にこれまたスペインのフラッグ・キャリア、イベリア航空と統合する。欧州最強の経済大国ドイツのルフトハンザ航空はその傘下に数カ国のフラッグ・キャリアを保有する。ハイブリッド・キャリアの時代と言っていいし、米国には既にフラッグキャリアがなくなって久しいのである。
提言五 空港整備特別会計は廃止せよ
狭い国土に九十八(自衛隊、米軍基地、私企業所有を加えると百四十四)もの空港を造り続けた背景には特別会計の存在があることが今回のJAL救済劇で国民の知るところとなった。略語で空整特会、正式にいうと社会資本整備特別会計空港整備勘定である。二〇一〇年度予算で四千五百九十三億円にのぼっているこの特別会計の財源は、着陸料と航空機燃料税で三三%、航行援助施設利用料と雑収入で四三%、一般財源からの繰り入れは九%となっている。そうして歳出は羽田の機能向上と再拡張工事で半分を使い、残りは地方空港の建設援助、一部国際空港への補助などに充てられる。
JAL問題で国会の集中審議が行われたとき、関係者が一様に指摘していたのはわが国の公租公課、すなわち着陸料と航空機燃料税が高く、航空会社経営の重荷になっているということだった。確かにジャンボ機一回の着陸料をみると成田は七十七万円、関空は八十二万六千円、中部国際は六十五万六千円であるのにロサンゼルスは十四万八千四百円、ロンドンのヒースロー空港は十四万四千円にすぎない。比較的高いといわれるパリのドゴール空港は四十二万千円、ニューヨークのJFK空港は四十九万四千円。アジアではソウル(インチョン)が三十万円、シンガポール二十六万五千円などである。
航空機燃料税についてはわが国独自の税制であり、ほかにはほとんどない。このため公租公課が経費に占める割合は日本航空が一三%、全日空が一〇・六%にのぼっている。
この特別会計が創設されたのは一九七〇年であり、当時は必要な制度だったと思われる。しかし地方空港はほぼ行きわたり、羽田の沖合展開工事、成田の滑走路延伸工事も終了した。そろそろ特別会計は廃止するとともに、公租公課とくに着陸料は大幅に軽減すべきである。航空機燃料税は環境課税の一環として再検討すればよい。そうして諸空港の維持管理費は一般財源で支出すべきである。
提言六 空港は連携して生き残りを図れ
日本航空が経営再建策の一環として三十の地方路線の廃止を発表、地方に衝撃を与えている。全日本空輸もいくつかの路線廃止を検討している。国土交通省の資料をみるとほとんどの空港が赤字経営となっているが、今度の計画により定期航路がなくなる空港もあるから、今後の空港経営はさらに難しくなると思われる。
早速、関係地方自治体の首長はJALに強く抗議しているが、こうした事態こそその場しのぎの航空行政の一端を図らずも露呈したものである。むしろ乱造してきた地方空港のネットワークを維持しようとしてきた航空行政自体、見直されなければならない。
わが国の空港のなかで、理想的環境とあらゆる機能を備えた完璧な空港は残念ながら見あたらない。表玄関の成田空港は東京から遠いうえ、夜間は発着できない。しかも滑走路が少なく短い二本目がようやく完成したばかりであり容量が足りない。国内線は限られており地方から海外に行くには不便である。ハブ空港としては欠点があり、自然、ソウル(インチョン)経由になる。
羽田空港もこれまで容量が少なく、国内線中心の片肺空港だった。今年十月から発着枠が増えるのを機に国際線を増強するのは望ましい方向といえよう。今後は成田、羽田両港とも国内線、国際線双方を持つ使い勝手のよい空港にし、棲み分けを図りハブ化を目指すべきである。
関空、伊丹、神戸の関西三空港もそれぞれ問題を抱えている。国土交通省は関空と伊丹を経営統合し、関空の赤字を伊丹の利益で補填する方針を打ち出している。同じ大阪府内の空港だからやりやすいという判断もあったと推察できる。しかしこれは関空の赤字を減らすだけを目的とする姑息な策ではないだろうか。かつて国は成田、中部、関空の土地から空港運営を分離する統合を試みたことがある。この案は「関空救済」の名の下に空港政策の失敗の真因を覆い隠すことになるとして強い批判を浴び挫折したが、今回の方針にもそうした危惧を抱かざるを得ない。
やはり関西は上下分離し土地を国有化してバランスシートを抜本的に改善したうえで伊丹、神戸空港をも一体とした運営態勢を目指すほうが良い。伊丹は開港の際のいきさつもありいずれは廃港になると予想しなくてはならない。その場合に備え、関空と神戸をフェリーで結び、連携させることで乗り継ぎを容易にするよう工夫すべきではないだろうか。
わが国の空港は、民間が設置し管理する「会社管理空港」が三か所(成田、中部国際、関空)、羽田、伊丹など国が管理する空港が二十八か所、福島、富山、静岡、神戸など地方自治体が管理するものが六十七か所ある。
地方自治体管理のうち三十四か所は離島空港であり、これは最低限のインフラということで従来どおり助成金でなんとかやっていけると思われる。問題はそれ以外の三十三空港。空港として維持するか否かは地方自治体の考え次第だが、もしその路線が地方にとって真に必要なら、航空会社にすべての負担を押し付けるのではなく、離島の航空路と同様に合理的ルールでの国ないし地方自治体による助成制度で実施されるべきだろう。ターミナルビルや駐車場と一体経営にする努力や他の空港と協力して観光客を呼び寄せるなどの努力が求められそうだ。
二〇一〇年三月十一日に開港した茨城空港はLCCの就航をねらって格安のターミナル施設にしたという。これも参考になるだろう。場合によっては他の空港と共同で特区をつくり海外のLCCを誘致、カボタージュ規制の例外的解除を求めるのも良いかもしれない。
提言七 格安航空会社の設立を支援し育成せよ
世界の航空界はいま、LCC(ロー・コスト・キャリア)と呼ばれる格安航空会社がものすごい勢いでシェアを拡大している。米国では既に輸送人員の三〇%のシェアを握り、欧州でも二〇%、アジアでさえも一三%のシェアを占めるまでになっている。欧州では主要都市間を数千円の運賃で移動できるし、アジアでも札幌福岡間の距離に等しいクアラルンプールからバンコクまでが千五百円程度である。バスに乗る感覚で飛行機を利用している。
しかしわが国には世界が認めるLCCは存在しない。「格安航空会社」を標榜している会社はあるものの、その内情をみるとコスト削減が不十分であり、運賃もそれほど下がっていない。規制緩和が進んでいないうえ、必要な人材確保もままならないからである。
エアドゥーやスカイマークエアラインズが会社設立の申請をしたとき、運輸省はトラック一台分にも相当する膨大な資料提出を求めたという話が伝えられている。会社設立が暫く途絶え、担当官が慎重を期したからとはいえ、出来ることならやめて欲しいという当時の運輸省の考えが分かるエピソードである。
結局会社設立は承認されたものの、安全性確保という理由で機材整備の海外発注は許可されず、重要な業務を商売敵である日航か全日空に頭を下げて依頼せざるを得ない状況に追い込んでしまったのである。航空事業にとって安全確保は最重要課題であるが、参入阻止のための過重な規制が行われたのである。国内に公正公平な競争環境を作り出すという発想が運輸省にはなかった。
その後規制はやや緩和されたとはいえ航空業界には自由競争で切磋琢磨し、国際競争力をつけさせるという環境は生まれていない。しかしそれでいいのだろうか。いずれアジアのLCCは大挙日本市場に参入してくるはずである。これに対抗してわが国にも真のLCCを育てなくてはならない。
航空業界の中には「日本ではLCCは無理」という意見がかなり強い。けれども興味深いデータが現れた。JALとANAが赤字幅を拡大したなかでスカイマークエアラインズが二〇一〇年三月期で黒字に転換したのである。同社はボーイング767を全部退役させ、同737に機種を統一するダウンサイジングを実施した。そうすることによって着陸料と航空機燃料税、整備費が大幅に減少、売上高は減ったものの経費削減効果が大きく黒字になった。やれば出来ることを示したのである。
LCCが育つ条件として関係者が挙げるのは四時間程度のフライトで一日三回飛べるような市場があることだという。飛行機を一日十時間以上稼動させることができるような市場である。東アジア経済共同体が実現すればEUのように域内を自由に飛ぶことができるが、東アジア経済共同体実現はかなり先になりそうだ。
そこでこの際、東アジア経済共同体を先取りする形で航空に関しては完全自由化するよう関係諸国と協議に入るべきではないだろうか。LCCを育成するには政府の手でそのような環境を整えてやることが望ましい。
英国でLCCが生まれたのは、利用されない空港が沢山あり、人材も豊富だったからだった。わが国もいま空港は余っており、JALのリストラで人材も放出される。われわれも英国の先例に習うべきだろう。 (終り)
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